今日もブログを書いていこうと思います。
今日は土曜日でしたが、仕事をしてました。
仕事の成果としてはなかなかの成果が得られたので、とりあえずよしとしましょう。
それはさておき、本題に入ります
目次
「家庭の幸福」
みなさんは「家庭の幸福」という文章を読んだことがあるでしょうか?
有名な作家が書かれています。
太宰治先生です。
これは何かの雑誌の短編小説にあったそうですが、皮肉というか何とも言えない虚しさが残る物語です。
簡単に説明すると、
ある役所勤めの男性がラジオを購入します。
その男性は家にそれを持って帰って、家族の喜ぶ顔が見たい。
この男性は「家族の幸福」を何よりも大切にしています。
当時のラジオというのは、今で言うテレビと同じようなもので、家族で一緒に楽しむものだったようです。
なかなか時間が経たない中、やっと就業時間も終わり、片付け始めたところで、ある女性が来ます。
そして「出生届を出したい」と言ってきます。「どうしても今日出さなければいけない」ということを、その男性に伝えるのです。
しかし、役所に勤めている男性は、もう終業時間も過ぎているからと言って、その女性の願いを断ります。
そして男性は家に急いで帰ります。
次の日に、新聞に出生届を出しに来た女性が自殺をしているニュースが出ます。
理由は分からないですが、川に飛び込んだそうです。
役所勤めの男性は、女性の名前も顔も覚えてませんから、自殺した女性のことも分かるはずもなく、「家庭の幸福」に努力を続ける。
こんなストーリーでした。
間違っていたらすみません。
原文はネット上にありますので、読んでみてください。
太宰治先生の皮肉なのでしょう。
「自分の家庭の幸せを一番に考えると、相手に対しては無知でいなければならない」
太宰治先生らしいストーリーだなと思います。
高齢者施設において
高齢者施設(特養、デイ、ショート)で高齢者が幸せになるって、どういうことだろうと研修等等で話がよく出ます。
自分らしく最後まで本人の望む生き方ができること
みたいなことが高齢者の幸せに繋がっていると研修ではよく習います。
しかし、太宰治先生のこのお話を読むと、自分の幸せを追求すると、誰かが犠牲になっているような気がしてきます。
つまり、ある利用者に幸せになってもらいたいと思って、一生懸命ケアをしても、他の人が犠牲になる、ということです
確かにそういうこともあるかもしれません。
まとめ
今回は太宰治先生の物語をもとに、幸せについて考えてみました。
そう言えば私も、たくさん仕事が溜まっていても、早く家に帰らないといけないから、残業もそこそこで家に帰っています。
それによって、資料が不十分だったり、膝の悪い資料を作るという結果になっています。
これは、周りの人を犠牲にするという結果になっていると思います。
ただ、このストーリに一言付け加えるとしたら、
「自分さえ幸せだったらいい、という考え方は不幸のはじまりだ!」
ということですかね。
これから生活相談員を目指す方や、今現在生活相談員として頑張っている方の参考になればと思います。