私は広島の出身です。
小学校も中学校も高校も大学も全部広島の学校に通いました。
今日8月に入りました。
この時期になると、NHKで頻繁に原爆の放送をしています。
8月6日というのは私にとってはとても、悲しいと言うか辛いと言うか、なんとも言えない重い気持ちになります。
最近の20代の人は原爆投下された日はいつ?と聞いても答えられない人が多いそうです。
私が小学校の時は、原爆の映画は見ていましたし、図書館には必ず原爆の本が置いてありました。
私の友達のほとんどが小学校の時、原爆が落ちる夢を見たと言っていました。
私も小学校の時は原爆が落ちる夢をよく見ていました。
その度に汗をびっしょりかいて、恐怖に震えていました。
私の脳の中には原爆のことが、しっかり根付いています。
目次
高齢者も原爆で辛い思いをしています
高齢者で、被曝された方はたくさんいます。
高齢者の中には、辛い思いを話したくないと言う人が多いです。
もちろん、高齢者の中には、「私はこんなに辛い思いをした」と言うことを言いたい人もいます。
広島県外の小学校から、被曝体験を聞きに高齢者施設を訪れるという学習イベントをよく開催します。
私たち広島の高齢者施設の職員からすると、複雑な気持ちになります。
話したい利用者でも、原爆の話しをした後は、落ち込みます。
自分の話でみんなが戦争をしなくて済むなら、話をしようと思っている高齢者もいます。
「夫や兄を探して歩いて、見つけられなかった」とか「身内を自分の手で焼いた」とか、びっくりするような話があります。
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原爆がどれだけ怖いかを高齢者の方は、たくさん伝えてくれます。
一瞬でたくさんの人が死んで、そして、その死体の中を必死に歩いてきたことを伝えてくれます。
聞くと本当に怖いです。
でも原爆の恐ろしさは、これだけではありません。
高齢者のみなさんは原爆が落ちてから1週間ぐらいのことを語りたがります。
やけどを負った人の顔や、「水、水」と言って死んでいった人の話などをよく話されます。
語られない恐ろしさ
原爆が落ちた後の方が、実は地獄なのです。
放射線を浴びた広島の人は、昨日まで元気だったとしても、突然死んでしまうこともあったそうです。
そうなると、差別が生まれてきます。
当然ですが、就職できなかったり、結婚できなかったり、たくさんの差別を受けたそうです。
こういったことは、高齢者は語りたがりません。
生きていくために、死体から金品を盗んでいたと言う高齢者もいます。
もちろん、これも語られない恐ろしさです。
まとめ
原爆に関しては、語り出すと本当にたくさんのことが書けますが、今回はここまでにしたいと思います。
私は、毎年原爆資料館に行っています。
今年大きくリニューアルしたので、みなさんも是非行っていただければと思います。
新しい資料館はデジタル的な物がたくさんあって、なんとなく、昔の人形がある方がよかったなぁと思ってしまいます。
それでも、昔に比べたら、情報量は本当に多いので、1日では全部を見ることはできないです。
今回は生活相談員とは関係なくなってしまいましたが、是非広島に来て原爆はどんなものだったのかを知っていただきたいと思います。