こんにちは、今日は生活相談員と直接関係ないですが、原爆資料館に行ってきましたので、報告したいと思います。
私は広島に住んでいますので、原爆資料館は小学校から行ってます。
前にも広島の高齢者施設の原爆について書いたところ、いろいろな方が読まれてい他ので、今回は資料館について書いて行こうと思います。
原爆資料館はできた時から、何度も展示を変更しています。
ずっと工事をしていて、やっと新しい資料館が今年(2019年)にオープンしています。
私も早く新しい資料館を見たいなと思っていましたが、なかなか行く時間がなく、今日になってしまいました。
目次
資料館を見ての印象
資料館を回っての感想ですが、暗いです。
これは、原爆が落ちた後暗闇が続いたことを意味しているのかもしれませんが、とても暗く感じました。
リニューアル前の資料館も暗かったですが、もっと暗かったです。
そして一番変わったところですが、当時の様子を表す人形がなくなっています。
小学校の頃からずっとあの人形が、原爆の怖さを伝えていたのですが、もう人形はありませんでした。
私はすごく寂しい気持ちになりました。
それから、昔の資料館はほとんど写真でした。
新しい資料館は、写真と絵(被爆当時の絵)の混在で、絵がたくさん飾られていて、その真ん中にやけどの写真が飾ってあったりしました。
広島の原爆は残された写真が少なかったので、絵で補充しているような感じでした。
その点では昔の写真だけの資料館よりも、訴えてくるメッセージは強かったように感じます。
資料館も値上がりしてました
以前の資料館は50円でした。
姉の子供が「することない!」と言った時は、すぐ資料館に連れて行きました。
10回行っても、500円なので、何回も行きました。
今日行ったら200円でした。
やっぱり資料館も維持していくのにお金がかかるのでしょう。
それでもとっても安いので、全世界の人に来てもらって、見ていただきたいと思います。
原爆の影響
資料館に入ってすぐ、原爆前の街の風景が広がります。
白黒ですが、賑わっていた街が等身大で感じることができます。
そして8月6日にそんな賑わいが全て奪われ、広島全体が焼け野原になっている風景の写真が部屋の壁全部に広がっていました。
そして原爆がどれだけ、ひどいかが始まります。
原爆は「熱(閃光)」「爆風」「放射線」の3つが同時に人々を襲ったことで、たくさんの人の命を奪っています。
この3つがどのぐらいすごかったかが、資料館にたくさん詰まっていました。
子供達の写真と、この子供がどんな最後だったかを、細かく書いてありました。
紹介されたのはごく一部の人ですが、悲惨さが伝わってきます。
原爆が落ちた後の人々の生活
原爆の怖さは、その原爆の威力ではなく、その後残された人達の生活の苦しさが本当の怖さです。
昔の資料館では、まだ苦しい生活をしていて、健在の方が多くおられたので、資料館には展示できないことが多かったのですが、今の資料館には、生活の苦しさがしっかりと展示してあると思います。
両親を原爆で亡くして、たくさんの原爆孤児がいたことも、展示してありました。
前のブログにも書きましたが、被爆者に対する「差別」についても展示してありました。
原爆のむごさをみんな感じていました。
今はお盆なので、ものすごい人がいました。
海外の方もたくさんいました。
旧館の最後の出口を出ると、椅子が多く設置されていたり、伝言用ノートがあります。
そこをいつも歩くのですが、みんな言葉が出ていません。
原爆の怖さや悲惨さを感じたのだと思います。
外国から来た方に、資料館を見てどう思ったか一度聞いて見たいと思いながら、なかなか実行できずにいます。
まとめ
原爆資料館は毎年行っていますので、このブログは少し冷たく感じるかもしれません。
資料館にはありませんが、広島の原爆で使われたプルトニウムですが、核分裂をしたのは全体の1.38%しか核分裂してないそうです。
これを聞いた時は、とても驚きました。
じゃあ全部核分裂したらどうなってたんですか?
非常に怖いです。
今日は人が本当に多くて、なるべく立ち止まらずに、歩きながら見てくださいとアナウンスされていました。
お盆休みや夏休みを利用して、見に来られている方が多いです。
なかなかゆっくり見られませんでしたが、私はずっと広島にいるので、また人が少ない時にもう一度ゆっくり見に行きたいと思います。
今回は生活相談員とは関係ない内容ですが、是非ともみなさん見に来ていただくようお願いいたします。
見にくるだけで、いいのでよろしくお願いいたします。
次はきちんと生活相談員に関連した情報を発信したいと思います。